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 西江家は室町末期より当地に居住し、地方豪族として、戦国時代を経過している。

家譜によると関東平氏のひとつ三浦氏の出自であり、北面の武士をしていた。応仁の乱を経て戦国時代、初代・西江大蔵清成は、備中坂本に住み山城を守る地侍となり、天正の戦乱で武功をあげ、毛利輝元より二百町歩の土地を与えられた。その後、関が原の合戦での毛利敗退により、武士を捨て帰農する。

 江戸時代、天領地となり西江家は1705年郡中惣代庄屋として自主的行政機構の中心(代官御用所)となった。そのため、屋敷は楼門づくりの館構え、お白州(簡易裁判所)、郷蔵、駅馬舎、手習い場を備え、式台付玄関がある代官御用所となる。明治以降も館構えの姿をそのまま現在も残している。

 

 3代目西江治良右衛門よりベンガラ製造に着手、トライ&エラーを繰り返しようやく1647年頃には陶磁器用の赤絵付け顔料のベンガラ製造に成功したと伝えられている。

しかし、備中ローハ山からの製造量は少なく、約100年後の6代目西江兵右衛門が1751年、技術者原弥八とともに良質なベンガラに欠かせないローハ(緑礬)の量産化に成功した。本山鉱山と名づける。

ローハ(緑礬)とは本山鉱山より良質な磁硫化鉄鉱を採掘し、加熱させ、水や湯を掛けて硫酸鉄分を水に染み出させる方法で成分を取り込み、その水を煮詰めて緑青色に結晶化させたものであった。

そして、ローハ(緑礬)の生産拠点が坂本地区にある本山鉱山であったため、8代目西江廣右衛門は吹屋地区と分業し、地元資本家たちによる更なる高品質管理体制を整えた。昭和の半ばまでベンガラの老舗ブランドとして日本のベンガラ生産を独占できたのは、常に高品質かつ汎用性のある特化した国産美術工芸高級ベンガラを製造し続けていたからである。吹屋ベンガラというブランドのベンガラは存在せず、株仲間でブランド銘をつけた。

 

13代目西江源一は、明治・大正時代に各地の博覧会や品評会で賞を独占し、販路も西欧まで及び、市場拡大し、山奥でありながら中小規模の多角経営をし、地元資本家たちが多くの雇用を生み地域全体で巨万の富を得た。

 

 しかしながら、近年の化学工業の発展により、硫酸ソーダ電解法などが発明され、安価に作られる工業用酸化鉄に押され、15代目西江劉が昭和49年にベンガラ製造を一旦中止し、ベンガラとローハの在庫を蔵に残した。

 

18代目西江晃治(にしえこうじ)が九州大学との研究の末、公害のでない新たな製法により平成20年にベンガラを再興させ、同時に研究所を設立。今後、ローハベンガラは耐候性、木部保護に優れた特質を生かし、世界遺産、国宝、重文など社寺仏閣の歴史的建造物の文化財保護の活用や伝統工芸に貢献して参ります。ローハベンガラは受注生産となっております。下記のフォームよりお問い合わせくださいませ。

​​*尚西江家古文書(約7000点)は岡山県立記録資料館に寄託しています。

 

0866-29-2805

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History

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西江邸・西江家住宅
[℡]        0866-29-2805
[Address] 岡山県高梁市成羽町坂本1604
[開館時間]     10:00-16:00
[休館日]      月・火曜日
[駐車場] 無料(バス5台・乗用車30台)
[駐輪場]  無料(5輪)

[Mai l]        inishiekaoru1647@gmail.com

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